梁川町の誕生と由来

昭和6年9月函館市の町名大改正が行われ、字陣屋通り、字五稜郭通り、字湯の川通り、字鍛治村通り、字村内川東の各一部より区画され、旧幕軍の総裁であった榎本釜次郎が、江戸下谷三味線梁川の生まれで号を梁川(りょうせん)と称しており、この榎本武揚を記念して梁川町とさだめ、9月13日告示、15日に施行されました。
梁川町が五稜郭と亀田八幡宮、五稜郭と千代ヶ岱陣屋との間に位置することから榎本武揚を始めとして、土方歳三や中島三郎助など忠義を貫いた志士たちがこの梁川を日々通っていたのかと想像すると趣深いものがあります。


【市営電車がありし頃】

【市営電車廃止後】

榎本武揚銅像


【函館市公式観光情報】


蝦夷共和国総裁だった30代前半の時をモデルにした胸像になっております。
《榎本武揚》
幕臣の次男坊として生まれた榎本釜次郎(通称)は、昌平坂学問所、長崎海軍伝習所で学んだ後、オランダに留学。
帰国後、幕府海軍の要職に就き、薩長連合との徹底抗戦を主張したが15代将軍徳川慶喜に受け入れられず旧幕府艦隊の引き渡しを要求する新政府に対し、勝海舟の説得により一部を引き渡す。
しかし主力艦を温存した榎本は、徳川宗家の駿府移封を見届けたのち奥羽越列藩同盟の支援をしながら、蝦夷地(函館)へ向かう。
蝦夷地を平定した榎本は、選挙によって蝦夷共和国総裁となり新政府からの独立を目指したが、独立を許さない新政府軍に次々と敗れ、
新政府軍の参謀として指揮を執っていた黒田清隆らと会見し降伏する。牢獄された榎本は、榎本の才能を評価していた黒田清隆らの助命により放免となり、
黒田が次官を務めていた開拓使に出仕し明治政府の役人となり、その後逓信大臣・文部大臣・外務大臣・農商務大臣などを歴任した。

梁川商興会の概要


函館市街地のほぼ中央に位置し、デパートや大型専門店、そしてボーリング場やカラオケなどの娯楽施設、また数多くの飲食店など様々な業種の会員で構成されている会になっております。

梁川商興会の理念


会員の力が結集できるようにお互いに協調をしあいながら懇親を深める事業を考え、地域の皆様に貢献することで地域の活性化を促進し、美しい街づくり・安全な街づくりを目指して、街路樹の低木の定期的な剪定や草取りなどを始めてとして、夜間の交通・防犯など安心して通行できるように街路灯の維持管理にも力を入れております。

梁川町遺跡


梁川町遺跡の土器(市立函館博物館蔵)
現在の梁川公園付近で、当時の土地所有者の方が耕作中に尖底土器の破片を発見し、昭和25年函館博物館が調査を行った結果、縄文早期から前期にかけての主要土器で今まで発見例のない土器のグループとして梁川式土器と命名される。

梁川公園(梁川交通公園)



南北に長い公園で、南側にはゴーカートで交通規則を学べる交通公園があり、市民の皆様には交通公園という呼ぶ名の方がなじみ深い公園です。子供たちが遊べる遊具コーナーやブランコ・鉄棒・砂場の他にゲートボール場や健康遊具、またベンチや東屋、水飲み場・トイレも整備され、老若男女の方々が楽しめる緑豊かな公園になっております。
亀田川沿い植えられている桜並木は、4月末から5月ゴールデンウィーク頃には満開になりインスタ映えする光景になります。

梁川商興会 年表

昭和43年 将来の発展を見据え、街づくりと商店街の活性化を目指し、梁川商興会設立。
昭和47年 梁川商興会街路灯 100基完成
昭和55年 梁川町会館竣工
昭和56年 「はこだて梁川商興会 会報」創刊
昭和59年 街路灯の灯具をガラス製に交換
昭和63年  梁川橋、宮前橋完成
平成元年 「梁川橋・宮前橋・新世橋」まつり 開催
平成5年 函館市電軌道(市営電車) ガス会社回り線廃止
平成6年 第1回梁川わくわくフェスタ開催
平成9年 旧電車通り、道道の改修と街路灯・舗道の改装完成

函館七夕まつり … 日本版ハローウィン?


㈱シンプルウェイ【動画】

7月7日の夜、天の川に隔てられた彦星と織姫が1年に一度だけ逢うことを許された、とてもせつなくロマンテックな日、函館では、彦星と織姫がろうそくの光に灯されながら逢うことができるように子供たちが沢山のろうそくを集めに各ご家庭を「竹に短冊七夕まつり 大いに祝おう ローソク1本ちょうだいな」と歌って回ります。現在では、ローソクではなくお菓子をくれるご家庭がほとんどで子供たちもお菓子を貰いに回りますが、アメリカのハローウィンのような「トリック・オア・トリート!(お菓子をくれないと悪戯するよ)」とは違い、日本人の奥ゆかしさを感じませんか?

函館七夕まつり(ローソクもらい)の由来

安政2年(1855年)の『函館風俗書』には、七夕の習わしとして、子供たちがめいめいに灯篭を差し出して、柳に短冊を付けて、笛や太鼓を鳴らして囃し立てて歩くようすが描かれているそうです。そうすると今から160年以上も前には既に存在していた文化になります。もともとは津軽地方のねぶたと関連性があり、ねぶたの照明がローソクであったため、ローソクを貰って歩くことが習慣としてあり、『函館・道南大辞典』によると、江戸後期の箱館では、ねぶた祭りと七夕が一緒に祝われており、大小のねぶたを竹と紙で作っていたそうです。その後函館のねぶた祭りは消滅し、七夕まつりだけが残って、その文化は今に伝わっています。

160年以上も伝わってきた大切な文化が危機に!?
現在、各小学校から出されている七夕まつりに対するルールが指導されています。それは、下記のようなルールになっております。
〇笹飾りをしている家庭のみに訪問すること
〇時間は午後6時から午後8時までにすること
〇小学校低学年は保護者同伴、高学年は3人以上出回ること
〇校区内のみで訪問すること
〇ろうそくだけでも必ずありがとうございますとお礼を言うこと
〇必ず歌を歌うこと

至極まっとうなルールと思います。子供達にはルールを守り楽しく回っていただきたいのですが、受け入れる各家庭の方が、昔ほどの受け入れ態勢になっておりません。 笹飾りをしている家庭というルールになっている為、小学校のお子様を持っている家庭周辺にしか伝わっておらず、実質参加する家庭が少ない。
また、SNSが発達したため校区内のみでのローソクもらいが、保護者がSNSなどで連絡を取り合い、「どこそこでは豪華なものを配っているよ」という情報が飛び交い、車で回って歩き、地域の子供たちに用意したお菓子が直ぐに無くなってしまうなどの行為も見受けられます。
一部のルール違反者によって、参加するお店さんなどが少しづつ少なくなり、160年以上も伝わってきた文化が寂しくなっていくのは忍びないことです。
私たち梁川商興会は、この函館七夕まつりも後世に伝える大切な郷土文化と考え函館市や他の商工会・商店街とも協力し、大切な子供たちを街ぐるみで応援していきたいと思っております。